御嶽信仰
木曽御嶽山開山 御禮奉拝
御自詠
(境内、天神雷鳥石像裏)
ありがたや 神の御恵み 浮きいでし
武蔵の國の雷の鳥かな
木喰普寛行者
御嶽信仰とは
長野県と岐阜県にまたがる、木曽御嶽山を中心とした山岳信仰であります。古くは「王の御嶽(みたけ)」と称し、鎌倉期頃には熊野や吉野の影響を受けた地方の修験者によって國峰として信仰されたと言われております。
その後、室町中期頃から道者と呼ばれる木曽谷の山麓諸村落の人々による登拝が行われました。古来より、百日精進重潔斎をした後に登拝するという掟がありましたが、近世に入り大衆的な山岳登拝の気運が高まり、覺明、普寛両行者により軽潔斎のみでの登拝と登山道が確立し、御嶽信仰が広まりました。
尾張の覺明行者は天明二年(1782)に黒沢口登山道を開き、さらに、寛政四年(1792)江戸の修験者普寛行者が至難として顧みなかった王滝口登山道を難行苦行の末、開闢という偉業を成し遂げ、江戸や北関東一帯に御嶽信仰を広めました。
また、普寛行者は北関東から新潟にかけての地方にも八海山・三笠山・武尊山・意波羅山などの地域的な御嶽信仰の中心となる霊山を開山しました。
古来より、本神社の宮司に代々受け継がれているお言葉があります。
「開くは覺明・普寛 護るは一心・一山」
木曽御嶽山は年間百万余りの登拝者があり、御嶽行者達の意志を護り受け継ぎ、今でも活性な信仰をみせております。
御嶽神社田島一心講
木曽御嶽山への登拝
御嶽神社田島一心講は8月(夏山)と1月(寒山)に木曽御嶽山に登拝しております。
月一回の講話
毎月第4土曜日13時より拝殿にて講話を行っております。